2003 12/8
雪の降る夜
冷たい雪が舞う。
「毎年、お兄さまの誕生日には雪が降るのね。知っていた?」
ディアンヌが体をすり寄せてくる。
教会からの帰り道、俺はお前の肩を抱き目の前に揺れながら落ちてくる白い粒を見つめた。
ディアンヌは俺の上着の内側に腕を入れ俺の胴に手を回してきた。
「暖かいわ」
見上げる顔は俺の心の柔らかいところを突いてくる。
大事な妹… 俺の宝… この笑顔のためならどんな事でもしてやりたいと思う。
「お兄さま‥ わたしの為に、無理をしないで…」
舞い散る雪のように静かにディアンヌは言う。
俺は黙ってお前の肩に力を入れる。
後悔はしていない。だがこれからはもっと苦労をかける。
「これからは大変だぞ。給料が減る」
俺は前を見ながらきっぱりと言った。
「そんなこと何でもないわ。お兄さまが無事ならわたし、何も…」
ディアンヌの声は震えていた。
拳が砕いた骨の感触が、今も手に残る。
「わたし、怖いの。お兄さまに何かあったら、わたし…」
ディアンヌが抱きついてきた。俺は雪に濡れ始めた妹の髪を撫でる。
あいつはディアンヌの腕を掴み引きずりやがった。
ディアンヌの悲鳴を聞いた時、体は一瞬のうちに反射していた。
この世の理不尽さに神など信じられなくなりそうな兄の為、ディアンヌは教会の冷えきった椅子の上でいつまでも祈りを捧げていた。
俺は立ち止まり妹を抱きしめる。俺だってディアンヌがいなけりゃ生きてはいけない。
「いよう! お熱いこって」
酔っ払いが声をかけ通り過ぎる。
「ごめんなさい…。私たちなんかいたらお兄さまは結婚もできないわね」
ディアンヌは俺の胸から体を離した。
「そんなこと気にするな。俺は、多分‥ 一生誰とも結婚はしない」
確信があるわけではない。だがそう思った。
「嫌よ。そんな寂しい事言わないで」
ディアンヌは離した体をまたつけてきた。
「お兄さま、私が結婚するって言ったらどうする?」
胸に顔をうずめたディアンヌの声は胸板を通して直接響いた。
俺は妹の肩を掴むと顔を覗き込んだ。
「そんな奴が、いるのか?」
ディアンヌは恥ずかしそうに下を向いた。
妹の頬が明らんだのを見て俺は焦った。
「結婚‥したい男がいるのか?」
俺の重ねた問いにディアンヌは首を横に振った。
「いないわ」
じゃあ… 少しばかりほっとしながら俺は別の意味に気がついた。
「まさか‥ 家の為に負担を減らそうっていうのじゃないだろうな」
俺の声の不穏に気づいたのかディアンヌは俺の胸を掴み顔を見上げて言った。
「違うわ! 違うの。わたし、お兄さまにずっと甘えるつもりよ」
黒い瞳が必死に訴えていた。
「それならいい」
俺はもう一度ディアンヌの肩を抱くと歩き始めた。
世の中は乱れ人々の不安が覆っている。
俺は明日の勤務を思った。明日からは一兵卒として一から出直しだ。
国王陛下の為、フランスの為…。
それがフランス国軍隊の使命だ。だがそんな名目は明日のパンの前にあえなく消える。国を守る為ではなく家族を守る為に俺は働く。
だが時として自分の中にたぎるものを押さえられなくなる。世の中間違っている。大声を上げてそれを正したい。もっと何か大きな事がしたい。男が一切れのパンの為に這いずり回る。どこか違う。釈然としない。
使命とは、そんなものではないはずだ。
俺は拳を握り締めた。心の中に鬱積するものをどうすることもできない。
『わたしの為に、無理をしないで…』
『わたし、怖いの。お兄さまに何かあったら、わたし…』
ディアンヌの言葉が頭の中に繰り返される。
必要とされている重み。護るべきものがある幸せ。俺はそれを噛みしめる。
「寒いだろう。早く帰ろう」
俺はディアンヌの肩を抱く手に力を入れた。妹は明るい笑顔で俺に言う。
「今夜の料理は特別よ。お兄さまの誕生日ですもの。わたし、一生懸命作るわ」
妹は嬉しそうに俺の肩に顔を擦りつけた。
「楽しみだ」
暖かいものが胸に満ちてくる。
幼い頃から俺はこいつを護る為に男であったように思う。
雪は世界を白くしようとするように降ってくる。
「好きよ。アラン‥お兄さま‥」
腕に添いながら呟くようにお前が言う。
汚れのない無垢な俺の妹。この雪のように白い。
俺は闇の中に手を出した。
雪は手の上にのると跡形もなく溶けていく。
「積もりそうだぞ」
激しさを増す雪の中、俺は歩を早めた。