2006 8/5
ゆかりんさま 作

1778 夏の誓い

E独白



「ジェローデル大尉が?」
オスカルは心から驚いたように、フェルゼンを見た。
「上司思いの部下を持ったな、オスカル。だいぶ心配していたぞ。慕われているのだな。」
フェルゼンの言葉は意外だった。ジェローデル大尉の、琥珀色の瞳を持つ端正な顔立ちが、脳裏に浮かんだ。職務上でのオスカルは、部下とは常に一定の距離を保ち、近衛連隊長として堂々と厳格さを持って振舞うよう務めていた。

慕われている?わたしが?軍位が昇格する度に、王后陛下ご寵愛の出世とか、女だてらになどと男たちに陰口を叩かれる、このわたしが、か?

オスカルには、思い当たる節があった。新任当初の冷ややかな空気のなかで、ジェローデル大尉だけは、他の貴族たちとは異なっていた。彼は忠実に彼女の指示を仰ぎ、気持ちいいほど完璧に、任務をこなした。少ない言葉の端々に、新任上官への的確な配慮が伺えた。それはいまも変わらない。いつだったか、先頭指揮官の代理を任せたことがあった。馬上ゆたかに見事な指揮をとった彼の有能さに感心し、全隊の前で褒めたことも、連鎖反応のように思い浮かんだ。何事にもそつが無い部下、と思っていたのだが。
 
「有能なうえに上司思い、か。」
オスカルは、独り言のように呟いた。
「もうひとり、いるな。アンドレ・グランディエ、だ。彼は有能なうえに控えめで、ほんとにおまえを大切に想っているな。今回の事件で、ますますそう感じたよ。おまえは幸せものだ。」
 フェルゼンは手にした茶器をテーブルに置きながら、爽やかに賞賛した。だが、思いもかけず沈黙が返ってきた。彼がいぶかしげに彼女を見やると、美しい顔には冴えない面差しが浮かんでいた。
 「どうした、オスカル?」
 「アンドレは、今回のことを気にしているのだ。直接言わないが、あいつのことは、わたしには分かる。」
 寝台のオスカルは、美しい眉を険しくひそめた。
 「わたしが負傷したのは、彼のせいではない。危険な目に遭ったのも、見抜けなかったわたしの責任だ。この傷は、わたし自身の不覚であって、誰のせいでもないというのに。」

僅かな静寂のあと、フェルゼンの唇が、穏やかに開いた。
 「オスカル、いいか。今回の件は、おまえの責任でも、アンドレのせいでもない。すべては、ポリニャック一味の企みのせいだ。分かるな?」
 あまり考え込むな、という彼のまなざしは、思いやりに溢れていた。オスカルは、仕方なく小さく笑って、頷いてみせた。いつもと違うその笑顔は、痛々しげに映った。フェルゼンの胸中に、庇護してあげたい感情が、一瞬よぎった。彼は椅子から緩やかに立ち上がった。目をなごませてオスカルに近づき、親しみを込めて彼女の手を握った。華奢な手肌は、まだ熱っぽさを帯びていて、頼りなげだった。
やはり、しばらく出仕は、無理だろうな。
フェルゼンは、明日からの自分の言動に要される慎重さと責任を、思いみるのだった。
 
「いまは、難しいことは忘れて、眠るんだ。また来る。」
「フェルゼン。」
「ん?」
「ありがとう。」
「まったく。おまえはほんとうに、気苦労のおおいやつだな・・・・・。」



オスカルは目を閉じた。フェルゼンの端正な姿が、瞼裏に去来する。体が衰弱すると、どうも気も緩むらしい。アンドレのことは、彼に答えを求めたわけではない。ただ、誰かに胸の内を、聞いてほしかった。さきほどのフェルゼンの、やさしく温かい瞳が、胸によみがえる。帰り際に握られた手の穏やかな感触。
 
わたしは、フェルゼンに頼りたいのかもしれない・・・・・。

 オスカルは、自分の思わぬ独白に、唖然となった。なにを、ばかな・・・! 慌てて首を横に振り、己の考えを打ち消した。
 黄昏は逢魔が時間、と言うが、病床時も似たようなものだ。ろくでもない考えに、囚われる。
 
サイドテーブルの瑠璃色のセーヴル磁器は、白やトルコブルーの夏の花々の清楚な華やかさで溢れていた。オスカルは、けだるさが残る身体を寝台に埋めて、見るとは無しにそれらを眺めた。病床に伏せる友人への気遣いだろう。エレガントな淡い薫りの可憐な花ばかりだ。

 アンドレもフェルゼンくらい、さっぱりしてくれればよいものの・・・・・・。

オスカルは、今朝のアンドレの様子を思い出した。
ようやくばあやの許可を得て、彼を部屋に呼ぶことが叶い、オスカルのこころはひさしぶりに浮き立った。それなのに入ってきたアンドレの姿を目にした途端、意地を張ってしまった。あれは夢だったのだから、照れる自分がどうかしていた。逢いたかった、と正直に言えない自分が、ひどくもどかしかった。
さらにいつもの明るいアンドレでなかったことが、オスカルの気持ちを、ますます苛立たせた。せっかくの再会なのに、すこしも嬉しそうな顔をしない。むしろどこか辛そうな様子が気に懸かった。
アンドレの性格から考えると、やはり、気にしているのだろうな。

 どこか上の空だったアンドレの態度を、うつらうつら思い巡らしていたオスカルは、まもなく抗い難い睡魔に、深く引きずり込まれていった。



 

























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