2002 8/1
挿絵 市川笙子さま

シルフィード




 隊長が近衛をやめてどれくらい経ったのだろうか。あの日を境に私の毎日は色を無くした。近衛隊とはこんなにも殺伐として味気ないものだったのか。こんなにも乾ききった空虚な隊だったのか。私は無味乾燥な毎日にうんざりしていた。あんなにも楽しく充実していた日々がたった一日でこんなになってしまうなんて。抜け殻だ。こんな繰り返しにはもう耐えられない。
 隊長に憧れていたことは自分でも気づいていた。隊長はずっと我々と共にある。それで充分だしそれ以外の望みはない。私は彼女の姿を見るだけで満足できた。類まれな美しさとどの将校より若く有能な隊長を戴くわが隊を誇りに思ってきた。王宮を御守りするということの名誉よりオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将の部下だということに私は自分の存在意義を見いだしていた。
 いったいどうして隊長は近衛を辞めたのか。分からない。でもそんなことはどうでもいい。今はどうやって隊長を取り戻すか、我々の元に取り戻すかだ。聞けば隊長は自ら望んで転属を願い出て衛兵隊に移ったようだ。分からない。どうしたって分からない。いつもここの堂々巡りになる。私も衛兵隊に移ってやるか。その時、天啓のように私の心に閃いたものがあった。そうだこの方法があった。これはどうだ。隊長を我々ものにするのではなく私のものにするのだ。永久に。

 この思いつきに私は居ても立ってもいられなくなった。一度自分の気持ちに気づいてしまうとそれは止めようがなかった。隊長が居なくなって気がついたのならそれも良しとしなければならないか。

 私はジャルジェ家の門をたたいた。事前に訪問の旨を伝えておいたので将軍は在宅だった。私の切り出した用件を将軍は驚いたようだったが静かに聞いてくれた。そして私は後日のジャルジェ家の晩餐に招かれた。

 その晩餐に隊長は居なかったが私は将軍と懇意に話し合うことができた。将軍はジャルジェ家には跡取が必要だと言った。わかります。将軍はずっとそれでお悩みだった。将軍に怒鳴られ追い返されるかと思っていたが杞憂だった。私と将軍の考えはピッタリ一致した。将軍は上機嫌だった。私を婿として認めてくれるような発言もあった。私が辞そうとすると、もう間もなくオスカルが帰ってくるはずだから待つように言われた。将軍の心遣いが嬉しい。

 ものすごい勢いで扉が開いた。
「隊長、おひさしゅうごがいます」 
 懐かしい隊長。お元気そうです。お変わりはございませんか。この姿を見られただけで私は胸が一杯になります。隊長無くしてよく今まで日々が送れたと不思議に思います。
「こっ、これはなんの冗談だ。ジェローデル大尉」 
 隊長は驚いたようだった。
「大尉ではございません。ただいまは少佐でございます」
 私は隊長の手を取った。嬉しさではちきれそうだった。
「で、では、ジェローデル少佐」
「この幸せをわかっていただけるでしょうか。美しいあなたの求婚者としてお父上にこの家への出入りを許されました」
 憧れの人の手に初めて口づける。甘い香りにめまいがしそうだ。
「父上!」
 将軍を振り返る隊長。何も聞いていなかったようだ。
「ジャルジェ家には後継ぎが必要だ。ぜひはやく強く賢い男の子を産んで私を安心させてほしい」
 将軍は静かに言った。
「横暴でこざいます!」
 将軍の言葉に隊長は机をたたいた。隊長の怒りが伝わってくる。
「幸いな事にジェローデルは長男ではないそうだ。うむ、彼と二人でジャルジェ家を継ぎわしはそろそろ引退、とまあこのように…」
 将軍は隊長の怒りになどお構いなしに続ける。
「話にならん!失礼」
 隊長は部屋を出て行こうとした。これは予想できた事。私は隊長の腕をつかんだ。
「マドモアゼル!」
 咄嗟にでた一言だった。もう私にとって隊長は隊長ではない。憧れてやまない大切な一人の女性だった。
「失礼、オスカル嬢、誤解のないように申し上げておきます。地位や財産が目当てではない。初めてあなたと近衛隊で一緒に仕事をした時から、その時からずっと、ずっと長い間憧れてまいりました。最初から、そしてどんな時でも私はあなたを女性として見ることしかできなかったのですよ」
 再びオスカル嬢の手を取る。先ほどと同じ妙なる香りが私を包む。手袋をしていないオスカル嬢の手。こんなにも白く柔らかく細かったのか。
「は、放したまえ、ジェローデル少佐」
 困惑したような声。いつものどこまでも通る澄みきった声とはあきらかに違う。それはどこか柔らかいふくみがあって私の心をくすぐった。
「それは命令でございますか。ならば聞けませぬ」
 この手を絶対に離したくない。
「はなせ! 今夜のことは忘れてやる。おまえも帰って頭を冷やせ!」
 隊長らしい切れが戻ってきた。
「人の心に…命令はできませんぞ」
 私はオスカル嬢の目をのぞき込みながら言った。私のオスカル嬢への気持ちは私だけのものです。
「お聞きになられたか父上! 人の心に命令はできませんぞ!」
 オスカル嬢はそう言い放つと部屋を出て行った。

 その日から何度もジャルジェ家に招かれた。オスカル嬢の婚約者として。オスカル嬢が同席する事はなかったが私は将軍と親しく話しが出来る様になっていった。後継ぎが必要だと言い張る将軍だが話してみるとそれは表向きの事だと言う事がよく分かる。将軍はオスカル嬢の事しか考えていない。衛兵隊は大変そうだ。さすがのオスカル嬢も手を焼いているらしい。将軍はご自分の手の中から出て行ってしまったオスカル嬢を心配している。わかります。今パリは混乱の中にある。今軍隊にいるという事は危険の只中にいるという事。近衛ならまだしも衛兵隊は危険すぎる。いや、近衛だって安全とはいえないご時世だ。
 ジャルジェ家、貴女が育ったこの家。家具もしつらえも重厚でありながら暖かい。それでいて繊細で優雅な雰囲気が漂っている。調度も派手さはないが吟味された逸品ばかりだ。貴女を育んだこの家を見ていると貴女がより身近に感じられます。
 オスカル嬢、貴女は何を考えているのですか? 私は恐いのです。死を恐れず最後まで信念を曲げなかった殉教者聖アナスタジーを守護聖人に持つ聖なる日に生まれた貴女。貴女の清廉なひたむきさが私には恐いのです。

 オスカル嬢、お願いですからこれからはどうぞ女として生きてください。フランスのレースは世界で一番美しいと思います。私は世界中のあらゆる美しいもので貴女を飾ってあげたい。もしそれが気に入らなければベルギーやイタリアから取り寄せてもいい。オスカル嬢、貴女のような美しい人が一生を軍服のみで過ごすなどあってはならない事です。唯の一度もドレスを着ることもなく髪を結い上げることもなく終っても良いのですか? 貴女が美しく装うことを知り、紅を選び、スタイルというものに興味を持ち、ご自分の髪を美しく見せるための髪飾りをねだってくれたりしたらこれに優る幸福はないでしょう。
 私に小さな装身具の一つでも贈らせてはくれませんか。新年に恋人に贈る品を選ぶ人達で賑わう店は私には縁の無いものでした。でもこれからは私にもそのような楽しみが許されるのでしょうか。
 いつでもいつだって私は貴女を女性としか見ていなかった。紅をさし化粧をしたあなたはどんなに見違えるでしょう。ベルサイユ中の誰よりも貴女が美しいと人々に知らしめる事になるでしょう。そして素顔は私にだけ見せてください。私といる時はゆったりとしたドレスを着て、髪は流れるままに、そして素顔でいてください。貴女の一番美しい姿は私だけのものに。
 そして将軍とお約束した通り強く賢いジャルジェ家の跡取を。もし許されるのならば貴女によく似た金色の髪で蒼い瞳の女の子も。


 今日アンドレ・グランディエに会った。いつもオスカル嬢と一緒にいる彼女の幼馴染。彼は今衛兵隊にいる。将軍が特別入隊させたようだ。将軍の気持ちも分かる。あんな荒くれ隊に一人で大事なオスカル嬢を置いてはおけない。
 私は彼を見た。黒い髪に黒い瞳。オスカル嬢もそうだが私はこんな濃い強い色は見た事がない。どこまでも黒い黒、或いは深い蒼、輝く金。この二人はとてもよく似ている。色素の薄い私の目。光線の加減で茶にも灰にも見える。髪にしてもそうだ。だから彼の強い色は私を不安にさせる。今まで近衛で彼女の側にいた私の代わりに今彼が衛兵隊にいるのか。私は彼に声をかけた。
「やあ、アンドレ・グランディエ、久しぶりだね。今、フランス衛兵隊に入隊しているんだって? 私の大切な方をあんな所に一日もおいておきたくないのだけれど」
 彼はいつもおとなしく身分をわきまえた振る舞いをする。それでいてオスカル嬢には影のように寄り添い他の何者も入れようとはしない。
「寂しくなるね。きみは今までいつだってどんな所でだって彼女と一緒だった。そう実に羨ましいほどにね。彼女がまだ士官学校も終えないうちから女性だということで特別に王太子妃付きの近衛士官として入隊したとき以来、きみなしの彼女はありえなかったしまた多分彼女なしのきみもありえなかった。きみは平民の身分でありながら宮廷にまで出入りを許され…」
「もう、いい。おれの役目も終った。これからは…これからは…ジェローデル少佐…」
 絞りだすような声。苦しそうな横顔。わかっている。彼はオスカル嬢を愛している。超えられないものがありながら自らその苦しみの中に分け入ろうとするかのような彼の愛。そんな苦しい愛になぜのめり込むのか。
「オスカル嬢は気づいておられるのだろうか、きみが彼女の分身だという事に」
 私の言った言葉の意味を彼ははかりかねていたようだ。近すぎるか。
「きみ、ジャン・ジャック・ルソーの『ヌーベル・エロイーズ』を読みましたか? なに、たわいもない恋愛小説だけどね。アンドレ・グランディエ、ぼくにも妻を慕う召使を妻の側に付けてやるくらいの心の広さはあるつもりです。きみさえよければ…」
 私の申し出に彼は持っていたショコラを私にひっかけた。
「そのショコラが熱くなかったのをさいわいに思え!」
 私は何を焦っているのだ。

 彼もオスカル嬢も気づいていないようだが彼らが似ているのは外見だけではない。魂の共有とでも言おうか。この二人は離れられない。愛だとか恋だとかいう以前の深い結びつき。同じものから生まれた一対のようにお互いを分身として生きている。だから、離れられないのなら彼もろともと焦ったのは事実だ。でももう一つ、彼に幸せな結婚生活を見せつけてやりたい。ここまで考えて私は自分のあさましさに愕然とした。嫉妬の焔はここまで人の心を醜く焦がすのか。嫉妬。私は今自分が最も軽蔑する感情に苛まれている。でもそれもよいか。ここまで来たら焼き尽くされてしまえ。彼はどんなに望んでもオスカル譲と結婚する事は出来ないのだ。

 ジャルジェ家で舞踏会が催される事になった。ジャルジェ家で舞踏会など令嬢方が嫁いでからというもの何年も開かれたことはなかった。ジャルジェ家は軍人の家に相応しく大貴族でありながら質素で堅実な家だった。
 凝ったデザインの招待状にはオスカル嬢の結婚相手を探す旨がはっきりと書かれてあった。将軍が私を望んでいるわけではない事は解っている。オスカル嬢がこの男となら生き方を変えても良いと思える男を望んでいるのだ。そんな男が舞踏会ごときで見つかるとは思えないのだが。

 舞踏会はめちゃくちゃだった。オスカル嬢が率先してぶち壊したのだから当然だ。これがオスカル嬢の意思か。今回のことは近衛を束ねる将軍といえど一人の親に過ぎないと思い知らされるほど滑稽で悲しいものだった。

 オスカル嬢は笑っていた。怒れる客と混乱した舞踏会と将軍を残し出て行った。これで終わりのつもりだろうか。オスカル嬢は楽しそうにも寂しそうにも見えた。
 中庭に出る階段に薔薇が綺麗だ。ジャルジェ家の薔薇園は見事だ。中庭は様々な種類の薔薇でうめ尽くされ香りにむせかえるようだ。 
「ジェローデルか…」
 オスカル嬢は私に気づいたようだ。笑うのをやめた。
「衛兵隊の兵士はあなたが呼んだのですか? パーティーはめちゃめちゃだ。だが却って私は嬉しい。これで求婚者は私一人になってあなたは…」
「うぬぼれるな!」
 私の戯言にオスカル嬢は怒鳴った。
「うぬぼれるなジェローデル、いいか!父上にも申し上げるがいい。生涯、生涯なにがあっても、誰のためにでも、わ、私は、私はドレスは着ん!」
 オスカル嬢の精一杯の突っ張り。彼女は今までずっとそうやって生きてきた。女でありながら武官として生きる、それがどれほど辛いことかは私だって武官の端くれだしわかるつもりだ。しかも将校として近衛連隊を束ね部下をまとめ上げなければならない。いくら父親が将軍であったとしても、いや、そうだからこそ必要の無い中傷とも戦わなければならない。女であるということは、不手際があれば所詮女だからとさげすまれ、手柄をたてれば女だから特別待遇だと言われるということだ。
 アントワネット様が王后陛下になられた時隊長は一気に三段階昇進した。アントワネット様の隊長に対する信任の厚さはとかくやっかみの対象になりやすい。「アントワネット様に取り入っている」「王太子妃付近衛士官とは女には有利なことだ」さまざまな中傷を聞いた。アントワネット様の隊長に対する信頼は隊長が心を込めてお仕えし御守りした結果なのだ。私は近衛は王族の身の安全を御守りすれば良いと思っていた。それ以上関わることは僭越だし危険だとも思った。けれど隊長は違った。アントワネット様は危ういところのあるお方だ。隊長は陛下をあらゆるものから身を呈して御守りした。私は隊長に体を張るという事を教わった。昇進すれば負うものも大きくなる。隊長はそうやって丁寧に一つ一つの献身を積み上げていった。
「そんなあなたが…私には痛々しい。あまりに痛々しくて…あなたが美しければ美しいほど軍服に身をつつみ馬にまたがるあなたは悲壮で…兵士達の中にあってその姿は壮絶なまでに美しくて…」
 ドレスなど着なくても軍服姿の方が貴女は美しいのかもしれません。でも、もうこれ以上御自分を追い込まないでください。貴女はもう充分やりました。男でさえ出来ない事を女でありながら充分すぎるほどやりました。
 オスカル嬢は手に持った薔薇から花びらを取ると口元にもっていった。何か考えているようでその仕草はほとんど無意識のままだ。
 欲しいと思った。こんなに彼女を欲しいと思ったことはない。一瞬一瞬のうちに自分の気持ちが深まっていくのがわかる。
「あなたは薔薇の花びらをたべるのですか?」
 人間というよりは神か精霊に近い貴女。貴女に食べられる花びらは幸せでしょう。
「いけないか!?」
 私の戯言に貴女は真剣に答える。
「背伸びをおよしなさい。なぜ、暖かい暖炉や優しいまどいに背をむけるのです。欲しいと思ったことがあるはずだ平凡な女性としての幸せ。差し伸べられた優しい手を拒み続ける自分に涙を流したこともあったはずだ。背伸びをやめて素直におなりなさい。悲劇のただ中にまっしぐらに向かって行く前に立ち止まって…」
 オスカル嬢、弱さを認めることは恥ずかしいことでも何でもないのですよ。疲れたとか恐いと言って良いのです。その為に人がいるのです。
「私のこの胸でよければ、いつでも、いつまでもあなただけを受け止める用意がある。何もかも、胸につかえた悲しみや肩に背負った苦しみをみんな私に預けてはみませんか。私のこの胸でよければあなたの長い長い苦しみも悲しみも涙も、すべて、預けてください…」
 オスカル嬢の表情が折れたようにやわらかくなった。私の想いが彼女の心のどこかに触れたのか。オスカル嬢の優しい憂いを含んだ顔。貴女はこんなにも女なのです。気づかないのですか、貴女はこんなにもたおやかな女性なのです。
 オスカル嬢の手を取って引き寄せる。
「愛しています… 美しい方…」
「ジェローデル」
 オスカル嬢の唇がかすかにふれた。ほんの一瞬だった。薔薇の香りがした。次の瞬間オスカル嬢は私の手を振りほどくと駆け出していった。
「オスカル嬢!」
 何があったんだ、一体何が。オスカル嬢は脇目も振らず駆けていく。


「私にお話とはいったい…」
 オスカル嬢から話があると呼び出された。この間のことがずっと気になっていました。
「ジェローデル、いつぞやの言葉どうり本当に私を愛してくれているか?」
 答えるまでもないこと。
「偽りなくあなただけを愛しております」
「誓ってまことの愛か?」
「誓って」
 オスカル嬢の真剣なまなざし。彼女は人と話す時は相手の目をまっすぐに見る。それは真摯で誠実な彼女の人柄をあらわしていた。
「ではジェローデル少佐、愛はいとしい人の不幸せを望まないものだが、もちろん」
「もちろん」
 貴女が不幸せで私が幸せになれるでしょうか。オスカル嬢は視線をわずかにそらし木の葉をもてあそびながら言葉を探すように言った。
「ジェローデル少佐、ここに一人の男性がいる。彼は、彼はおそらく私が他の男性の元に嫁いだら生きてはいけないだろうほどに私を愛してくれていて…もし彼が生きていくことが出来なくなるなら…彼が不幸せになるなら…私もまたこの世で最も不幸せな人間になってしまう」
 オスカル嬢は最後は射るような視線で私をみつめた。その視線にたじろいだ訳ではないが動揺しないわけにはいかなかった。
「アンドレ・グランディエですか? 彼のために一生誰とも結婚はしないと?」
 オスカル嬢はうなずいた。
「愛して…いるのですか?」
 聞くことは恐かった。
「分からない。そのような対象として考えたことはなかった。だだ兄弟のように、いや多分きっと兄弟以上に、喜びも苦しみも青春のすべても分けあって生きてきた。その事に気づきさえもしなかったほど近く近く魂をよせあって」
 愛しているのですか、私の問いかけに彼女は分からない、と答えた。これは真実だろう。嘘や婉曲とは最も遠いところに貴女はいる。でも、もうすぐ彼女がその事に気づく日が来るのだろう。それを知って私はあんなにも焦っていたのだ。
 貴女の中に私はいない。オスカル嬢、嫌悪よりも残酷な感情が有るのをご存知ですか。無関心。私は貴女にむしろ唾棄される人間でありたかった。貴女は細やかで慈しみ深い愛情をお持ちなのに時々ひどく残酷です。貴女に恋焦がれて引き返せなくなった人間をもう二度と顧みることなどないでしょう。
「彼が不幸になればあなたもまた不幸になる。それだけで十分です、納得しましょう。私もまたあなたが不幸になるならこの世で最も不幸な人間になってしまうからです」
 オスカル嬢、私の心より貴女の心を大切に思います。私の心が血を流しても貴女の心が満足して平安であればそれでよいのです。
「ジェローデル」
 静かで美しいまなざし。
「受け取ってください、私のただ一つの愛の証です。身を引きましょう」


 私に出来ることはこれだけです。でも覚えていてください。貫く愛より引く愛の方が辛いこともあるのだと。最後に貴女の手を取り口付ける。
「美しい方、オリンポスの神殿に神々と共にこそ立たせたい」
 貴女は私に手を預けてくださった。優しさが身にしみます。私にはこれしかないのです。貴女の優しい手の残り香とかすかに触れた唇の記憶を一生抱きしめて生きてゆきます。私は貴女以外の妻を娶ることは致しません。貴女の面影だけを見つめて生きてゆきます。

 アンドレ・グランディエ、お前の愛をみせてくれ。お前はどうやってオスカル嬢を愛するのだ。オスカル嬢を守り抜くことができるのか。お前のために一生誰とも結婚しないと言い切ったオスカル嬢を幸せにすることが出来るのか。私が血を吐く想いであきらめたオスカル嬢だ、私の命より大切に思っている方だ、命をかけて守ってやってくれ。



Fin


































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