2002 12/25
hitomiの部屋「愛の企画」参加作

最後のドレス




 パリの留守部隊からの帰り道、アランはある仕立て屋の前を通りかかった。この店は婦人達のドレスの仕立てをやっている店だ。最初は通りの外れにあったささやかな店だったが、パリの中心に新しく店舗をかまえ繁盛しているようだ。こんなにパリ中が飢えているというのに、贅沢なドレスを買える人種というのはまだいるらしい。
 アランと鉢合わせるようにして一台の馬車が止まった。中からはこざっぱりとした服装に地味なマントを羽織った老婦人が降りてきた。若い二人の召使いらしき男を連れている。だがこの老婦人も服装からいったら、多分召使いだ。人懐っこい丸顔に気品と風格が備わっている。こんな婦人を召使いに持っているとは、きっと大貴族に違いない。馬車もわざとやつすように古びたものを使っているが、庶民との品格の違いはわかろうというものだ。
 店の中から女主人が出てきた。
「まあ、マロングラッセさま、いつもお運びいただきありがとうございます。こちらからお届けに上がれればよろしいのですが」
 老婦人は顔の前で小さく手を振った。
「ご結婚のお噂を伺いました。ですから婚礼のご衣裳にもなるようにと仕上げに凝ってみました。奥様にもご覧になっていただければと思うのですが…」
 その言葉を聞くと老婦人は驚いたような顔をして後ろを振り返った。まるで何かを警戒するかのように辺りを窺い、女主人に向かって首を横に振った。女主人は口元を押さえ頷いたが、目は笑っていた。
 老婦人はもう一度振り返り、アランに気づくと狼狽したような表情をうかべ、襟元から足先までを素早く見た。どうやらフランス衛兵の軍服が気になるようだ。知っている人間か? アランは考えたが思い出せなかった。こんな豪華な店や大貴族に知り合いなどいない。やがて彼女は曖昧に会釈をすると店の中に入っていった。
 結婚の噂か…。きっとどこかの貴族の娘が結婚するのでその準備に大騒ぎをいうところか。フランスの多くの民衆が食うや食わずだというのに、何着もの婚礼衣装を着替え着飾ることの出来る娘がいるということだ。ディアンヌの為に俺は剣を売って金を作った。それでも僅かなものだ。同じ女なのにこの違いは何だ。
 ディアンヌ、あいつは婚礼衣装の準備ができたのだろうか。この前の面会日に会った時は嬉しそうに言っていた。
『お兄様が沢山お金をくれたから、私とても気に入った生地が買えたのよ。それは素晴らしいの。今それを自分で縫っているの。お母様も手伝ってくれるし、二人で色々な事を話しながら縫うのよ。とても楽しいわ。自分の婚礼のドレスを自分で縫うのはすごく贅沢なことだと思うのよ。この世でたった一つしかないのですもの』
 仕立て屋を頼む事さえ出来ない貧乏を恨むでもなく、ディアンヌは本当に嬉しそうにそう言った。兄を労わるように気をまわしたのか。いや違う。ディアンヌは本当に心からそう言っていた。あいつの心の美しいところはそんなところだ。何にでも幸せを見つけ出し、大切に暖めることが出来る。
 ディアンヌ、幸せになってくれ。俺の願いはそれだけだ。今度の休暇にはお前の縫った婚礼衣装を見ることになるのか…。一体どんな顔をすればいいのだ? 風が冷たい。頬が切れるようだ。アランは空を見上げた。いつしか風には雪がまじっていた。


 一日の仕事が終わり、アランは一人でパリに出た。飲みたかった。いつもの店で安酒をあおる。
 ディアンヌ――
 アランはグラスを傾けた。
 グラスの中にディアンヌが映る。小さかったディアンヌだ。泣き虫で、それでも一生懸命俺の後をついて来た。兄がこんなだからあいつは色々な奴にいじめられた。そしてその度に俺は奴らを張り飛ばし、それを見たディアンヌがまた泣き出すという繰り返し。
 グラスの中のディアンヌは少しづつ成長する。女らしく美しくなっていくディアンヌ。兄の目から見ても眩しくとまどったものだ。いたずら坊主達の目は羨望に変わっていった。兄としては得意でもあったが、美しいという事は時に悪い事態も引き起こす。そしてあの事件。降等処分。
 グラスの中に隊長の顔が映った。俺が食堂の椅子に縛り付けた。本気ではなかった。ただちょっと脅かしてやろうと思っただけだ。つけ上がるんじゃないと。でも今では後悔している。目の前に打ち込まれた弾丸。粉々に弾けとんだ床板と焼けた木くずの匂い。あいつの思いもわかる。多分顎を砕いたくらいじゃ収まらなかっただろう。
 あの時の俺は自分が顎を砕いてやった奴と同じ事をしていたと気づかなかった。そんなつもりはなかったとは都合のいい弁解に過ぎない。隊長はどう思っただろう。嫌悪しただろう。それは分かる。それ以外に恐くはなかっただろうか。卑怯な俺に浴びせられたあの言葉。
 ―年下の男など趣味じゃない―
 俺はこの言葉を一生反芻しながら生きていくのだ。
 ちくしょう。
 アランはグラスをテーブルに叩きつけた。自分が何に苛立っているのかわかっていた。自分の心が自分を裏切る。
 あの時の隊長の美しさに息をのんだ。顎に手をかけ上向かせた。間近で見たあの顔。俺は最初の目的を忘れそうになった。隊長の美しさに目がくらむなど、女の隊長に楯突き追い出そうとしている先頭の俺にあるまじき行為だと理性が言った。だが心は、心臓は、脈打ち、その時の俺は、何かに捕えられてしまった。
 いや、その時が最初ではない。きっと隊長と剣をあわせたあの時から… 
 あっという間に片付けてやる、そう思ったがそうはいかなかった。突いても攻めてもかわされる。剣の切っ先をかすめるように揺れる金色の髪。俺がリードしていた、間違いなく。でも一瞬にして勝負が決まった。俺は何がどうなったか分からなかった。
 首筋に感じる鋭利な感触と冷たさ。そして腕を取り縛ってくれた絹の柔らかさと、暖かかった手。あれは隊長そのものだった。今ならわかる。高嶺の雪のような容姿と熱い心を隊長は持っているのだ。
 上辺だけの空っぽの奴だったら良かったのに。そうしたら憎むこともなく軽蔑できるのに。苦しい想いもきっとしない。
 あいつにこんなことも言われた
 ―好きだからいじめてしまう。ケツの青いガキ。素直になれ―
 ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!!
 アランは拳でテーブルを叩いた。

「お兄さん、辛いことでもあるのかい?」
 女の声にアランは顔を上げた。派手な赤毛の女がすぐ側に座ってアランを見ていた。アランは顔を横に向けた。
「止めてくれ、今日は一人で飲みたいんだ」
「ふふ、大切なものを無くしちまったか盗られちまったような顔をして」
 アランは女を見た。ちぐはぐな色の派手なショールを頭からかぶり、その間から燃えるような赤い毛を出していた。赤く紅を引いた口、真っ白に塗りたくった顔、顔だけ見ていたら年など分からないが、茶色の瞳はきらきらとした光を放ち、テーブルの上に組んだ手は柔らかそうな薔薇色をしていた。
「あたしでよかったら、慰めてあげるのに」
 女は細い指でアランの前髪を一筋つまみあげると弄ぶようにそっと落とした。商売女か。
「金なんかないぞ」
 アランはうるさそうに言った。さっさと何処かに行ってくれ。
「ふふ、金はいらないよ。今日はあたしの誕生日なのさ。今日だけは仕事じゃなく、自分の為に、自分の気に入った男と過ごしたいんだよ」
「だったら此処じゃないだろう」
「お兄さん気に入ったよ、いい男じゃないか。ねえ、あたしに話してごらんよ。誰かに話すと楽になるって言うじゃないか」
「何も話すことなんかないさ」
 アランはグラスを口に運んだ。
「どうしたの? 恋人‥ 死んじまったのかい?」
 アランはぎょっとして女を見た。
「ごめん‥ 当たった?」
「外れもいいとこさ」
「じゃあ、愛しい人は遠くにいるの?」
「そんな奴はいないさ」
「じゃあ、何故そんな哀しい顔をしてるのさ」
「そんなしけた顔していたか?」
「ああ、とっても。誰かに恋人とられちまったようなさ」
「ふん」
 アランはもう一度グラスを口に運んだ。
「帰る家がないの?」
「おい、俺をろくでなしか乞食のように言うのは止めてくれ」
「あたし、ろくでなし好きだよ。だからいつまでもこんななんだろうけど」
「悪いが俺はろくでなしじゃない。恋人を取られた覚えもない」
「じゃあ、片恋だね」
「なんだって!」
 アランはテーブルを叩いて立ち上がった。女は驚いたようにアランを見上げ笑った。
「分かりやすい人だね」
「俺は恋なんかしていないし、恋人なんかもいない。いいかげんな事を言わないでくれ。ふん、馬鹿馬鹿しい」
 アランは音を立て、椅子に座った。
「一人者か、よかった。お兄さん、家族は?」
「……母と妹が‥ 妹は今度結婚するんだ」
「ああ、それで」
 女はわかったというように相槌をうった。
「娘を取られちまった父親の心境ってとこだね」
「…」
「親父さんいないのなら、お兄さんが父親代わりだったんだろう」
 アランは目の奥が熱くなるのが分かった。この女の撫でつけるような言い方は心の弱い所を揺さ振るような響きがあった。
「でも良かった。おめでたい話じゃないか。きっと妹さん可愛がっていたんだね」
 アランは女から顔を背けた。胸の中に熱い固まりが込み上げてくる。
「ねえ、あたしのところで話さない? 向かいの店の二階があたしの部屋なの」
 女の手がアランの腕を捕えた。
「止めとくよ」
「警戒しているんだね。大丈夫さ、金なんて持ってない事知ってるもの」
「お前はいいのか? 見知らぬ男を部屋に引きずり込んで」
「ふふ、妹さんをそんなに大切にしているんだ、女をそう酷く扱ったりはしないだろう」
 アランは大きく息を吐いた。女はアランのグラスに手を伸ばすと残った酒を飲み干した。
「な、なにするんだ」
「もうちょっといい酒飲ませるよ。ねえ、あたしのところに来ない?」


 女の部屋は細長く奥が鉤の手に曲がっていて寒かった。
「今、火を入れるね。まったく近頃じゃ薪も高くて嫌になっちまう。一人で寝てると朝には氷ついちまうんだから」
 女は火をおこしながらアランを見た。
「今日は暖めてくれるよね」
「ふん、俺は薪がわりかよ」
 女はショールを外すと戸棚から二つのグラスと酒瓶を取り出した。
「祝っておくれよ、あたしの誕生日を」
 アランは瓶を手に取って眺めた。アメリカ産のウイスキーだ。
「こんなの何処で手に入れたんだ」
「失礼なこと言わないでよ。このくらいいつも飲んでいるわ」
 女はアランから瓶を取り返すと蓋を捻じ切りグラスに酒を注いだ。もう一つのグラスにも注ぎ入れると片方をアランに差し出した。アランはグラスを受け取ると目の高さに差し上げた。
「おめでとう。…名前は?」
「シルビーよ。あなたは?」
「俺はアラン。おめでとう、シルビー」
「ありがとう、アラン」
 シルビーはアランに微笑むと一気に半分ほど流し込んだ。
「いい飲みっぷりじゃないか」
「ふふ、今日は特別。12月8日、毎年この日は仕事をしないの。好きな人と過ごすことに決めているのよ」
「今日は12月8日か」
「そうよ、あんたも飲みなさいよ」
 アランはグラスを口に運んだ。いい酒はやはり味が違う。
「座って」
 シルビーはテーブルの側の椅子を差し出した。
「こっちの方が暖かいわ」
 椅子を暖炉の近くまで引きずった。
「ここでいいよ」
「ね、アラン、あなたの髪、素敵ね。あたしこんな赤毛だから黒い髪に憧れるわ」
 シルビーは椅子に座ったアランの髪を片手ですくった。
「そうか」
 髪を褒められるなど初めてだ。黒い髪がいいだと? ディアンヌに聞かせてやったら喜ぶだろうか。隊長のブロンドにあいつは憧れている。確かにあれだけの豪華な金髪はそうあるものじゃないが、ディアンヌはそのままで一番ディアンヌらしい。
「その髪も悪くないぞ。いい色じゃないか」
 アランはシルビーを見上げた。シルビーは恥ずかしそうに肩に垂らした髪を両手で撫でつけた。
「ありがとう。ね、あなたの妹さんってどんな人? 可愛いの? あなたに似ている?」
「似ていない」
 シルビーは声を上げて笑った。
「あたしと同じだわ。あたしもエミールと全然似てないの。本当の姉弟なのに」
「弟がいるのか?」
「そう、エミールはとても頭がいいの。あたしと違って。だから今あたしは字を勉強しているの。弟が頭良いのに姉が字も読めないのじゃしょうがないでしょう」
 そう言ってシルビーは暖炉の上から分厚い本を取り出すと、ヨハネの福音書を読んでみせた。アランは頬の辺りを指で掻いた。こんな所で聖書の朗読が聞けるとは思わなかった。
「あたしもあなたと同じで父さんはいないの。母さんとエミールだけ。遠くに居るからあたしはパリでお針子やっている事になっているの。あたしの楽しみは、うんと稼いでエミールを良い学校にやってやる事なんだ。あの子も働いているわ、母さんが働けないから。病気なのよ」
「ふーん、そうやって身の上話をして、今までどれだけ可哀相な男からふんだくってやったんだい?」
 アランは立ち上がりシルビーの顎に手をかけた。
「嘘だと言うの? あなたがもう少し金を持っていたら、あたしだってがんばるさ。なによ、一文無しのくせに。あなたに演技してみせて一体何が出てくるのさ。こっちが損しちまう」
 シルビーはアランの手をピシャリと叩いた。
「はは、違いない」
「あたしはあなたに同情しているのよ」
「そりゃどうも」
 アランは椅子に座った。この女、化粧でごまかしているが相当若そうだ。弟の話も本当かもしれない。体を売りながら家族の為に、弟の為に金を送り続けているのだろうか。
「こんなのも読めるわよ。意味は難しくてよく分からないのだけれど」
 アランはシルビーの差し出した紙を受け取った。三部会の召集を求めるビラだ。王室の財政は何故破綻したか。赤字夫人か。こっちは気の早い立候補予定の議員の主張が書き連ねてある。
「ねえ、アラン、新しい時代が来るって本当? あたし達も幸せになれるの?」
「さあな」
「あたしのお客はそう言ったわ」
「そんな事はわからない。だだ言える事は、自分達でやらなければなにも変わらないという事か」
「あたしには難しくてわからないわ。それよりアラン来て」
 シルビーはアランの手を取ると部屋の隅のベッドへ導いた。
「どうしたの? こんなチャンス二度とないわよ。絶対悪い思いはさせない。虜にしてみせるわ」
 シルビーはアランを抱きしめた。
「ふふ、怖気づいた訳じゃないでしょ。何か気になるの? 恋人はいないはずよ」
 シルビーはアランの髪をかき上げると首に手をまわした。
 その時、表の通りでガラスの割れる音が聞こえ続いて男達の怒声が飛び交った。
「何だ?」
 アランは音の方を振り返ると窓を開けた。シルビーがやってきてアランの後ろからのぞき込んだ。
「ああ、またドニ親父だ。いつも飲んだくれてああなってしまうんだ」
 一人の大男が割れた酒瓶を片手に道の真ん中でぐるぐる回りながらなにやら叫んでいる。目はうつろで何を言っているかわからない。そして瓶を差し上げたまま一声叫ぶと、道の上に仰向けに倒れ込んだ。店の中から数人の男達が飛び出してくるとその男の脇腹や頭を蹴り飛ばし始めた。男は気を失ったようにピクリとも動かない。
「あれでかわいそうな親父なんだ。小さな息子を亡くしちまってさ。おかみさんにも逃げられてしまうし。貧乏人は病気になっても医者に見せる事も出来ないんだよ」
 シルビーはアランの肩に手をかけた。
「しかし、ひどいな。助けに行くか」
「やめなよ、アラン。あんたが行けば収まるかもしれないけど、あれであの親父平気なんだよ。凍えもしなければ、怪我もしない。案外あいつも死んじまいたいのかもしれないけどさ」
 男は小山のように道に倒れていた。
「窓閉めろ」
 アランは窓から離れるとベッドに座った。パリはこんなにも殺伐としている。何かがおかしい。こんな光景は見たくない。自分達でやらなければ何も変わらない―― シルビーに言っておきながら何をどうすればいいのかわからない。
「ねえ、あの兵隊さん、アランと同じ服着ているけど知っている人かい?」
 シルビーは窓から顔を出しながら、アランを振り返った。
「何だって?」
 アランはもう一度窓に近づくと、シルビーの背中越しに通りをのぞきこんだ。
「アンドレだ。あいつこんな所で何やっているのだ?」
「やっぱり、知っている人?」
 シルビーはアランに窓を譲るように身をかがめるとアランの胸の下から彼を見上げた。
 アンドレは倒れこんだ男の側に膝をついていた。男の胸に手をやり、顔をのぞき込んでいる。アンドレは周りに群がる男達をなだめるように手を上げ何か言っていたが、倒れた男の腕を取ると自分の肩に担ぎ上げた。倒れた男を指差し誰かが何かわめいていた。大男を担ぎながらアンドレはニ、三回頷いていたが、そのまま店の中に入っていった。
「アンドレ…」
「ふふ、知ってるよ、その服フランス衛兵だろ。フランス衛兵にはいい男が多いいんだね」
 シルビーはアランの胸の下で小さくなりながら、それでも腕を伸ばしてアランの首をくすぐった。
(アンドレ、何でこんな所にいるんだ。それよりも…)
「アラン、あそこにいる金髪の兵隊さんもあんたの知り合いかい? 随分綺麗な兵隊さんだね。あれもフランス衛兵かい?」 
(隊長…)
「シルビー、悪いが用事を思い出した。帰る」
 アランは窓を離れた。
「帰るって、アラン待って!」
 シルビーが追いかけてきた。
「待ってよ、これからだっていうのにどうしたの?」
「悪いけど仕事なんだ」
「アラン、何が気に入らないの?」
「そんなんじゃないんだ」
「嫌よ。あたしあんたが気に入ったんだから。帰さない」
 シルビーがアランの腕を掴んだ。
「シルビー」
 アランはシルビーに向き直ると彼女の両腕をつかんだ。
「また今度な」
「今度は金払ってもらうから!」
「わかった」
 アランは部屋の戸を開けた。
「待って、アラン。今度って、いつ会えるの?」
 シルビーはアランの腕を取り、戻すように引っ張った。戸は風を受け、音を立て閉まった。
「そうだな、年が明けたら」
「本当よ、また来てよ、ここに。もし来なかったら、フランス衛兵の連隊本部に毎日押しかけて、あたしのアランはどこ?って叫んでやるから。連隊本部がどこにあるか知っているんだから」
「わかったよ」
 アランは腕を力一杯握り締めてくるシルビーの手に手をかけ、それをそっと離した。
「シルビー、お前はいい女だ」
 アランは両手でシルビーの顔を挟むとそっと頬に唇をつけた。
「じゃあな」
 アランは片手で戸を開けると、もう片方の手を上げた。階下から冷たい風がうなりをあげてまい上がってきた。階段を降りるアランの靴音が響いてくる。
「アラン」
 シルビーは戸口に立ち階段の中ほどにいるアランにもう一度声をかけた。
「妹さんによろしく。それからおめでとうって」
 アランはもう一度振り返ると手を上げた。

 シルビーは部屋に戻ると小さく窓を開けた。さっきまでここに居た男が見えた。店から出てきた仲間と何か話している。嬉しそうな笑い顔。なにさ、さっきまで死にそうな顔していたのに。
 アランは馬上の男とも何か話している。馬に乗った男は黒いマントにくるまり、金髪を寒風になびかせながら、かがみ込みアランに顔を近づけた。その髪がアランの顔に重なる。アランの横顔が輝いていた。
 シルビーは窓の隙間からアランの様子を窺った。もうアランはこちらを見ない。シルビーはアランの背中を見つめると窓を閉めた。テーブルに寄り、アランの飲み残したグラスに口をつける。
「アラン…」
 シルビーはグラスの縁を指ではじいた。不思議な男だった。男らしくて精悍なのに、哀しそうで寂しそうに見えた。危険そうな色香を漂わせながら、頑固でストイックな感じもする。成熟した男でありながら、少年のような輝きも持っている。今見たあの笑顔…。
「あたしの誕生日どうしてくれるのよ」
 グラスに向かって恨み言を言い、シルビーは着ているドレスを広げてみた。
「もっといいドレスを着ておくんだったな」
 シルビーはベッドの裾にあるクローゼットを開けた。中はがらんとしていてニ着ばかりのドレスが掛かっていた。
「ドレスも薪や食べ物買う為にみんな売ってしまったし… あたしも何とかしなくてはこれが最後のドレスになってしまう」



Fin


「銀の月と小さな花」に続く





























inserted by FC2 system