2003 10/19
イラスト ラーキーさま
文 マリ子

婚約者



    強く賢い子を産め。

そうなのだ。私は子を生める身体なのだ…
思いもかけない父の言葉だった。

目を反らしていたわけではない。女としての性を否定しているのでもない。
ただ、突然つきつけられたものの違和感に戸惑う。


手綱を握る大きな手。
父と同じ鞍に跨り私は、はしゃぐ。
背中に感じる父は私が初めて触れる世界の全てだった。
馬はどこまでも駆けていく。
青い空、輝く緑、手を伸ばすと飛び立つ鳥でも捕まえられそうだった。
もっと走らせて! もっと早く!
私は父の鞍の上で風になった…

姉達とレースやリボンを広げて遊ぶより、父に剣や銃を教わる方が楽しかった。
「オスカル!」父が呼ぶ。私は急いで庭に出る。

十歳の時のあの日も、十四の時のあの日も‥ 輝いていた、私の人生。
今でもこんなにはっきり思い出せるのに…


私は男として生きてきた。
誰の為に、何の為に…

父が望んだことであっても選んだのは私。
誰のせいでもない。

私は暗い部屋で自問する。

女に戻ろうと思えばできた。
恋を知ったあの時も、恋に破れたあの時も…

違う。戻ろうとなどしなかった。
むしろ私は軍服にすがった。
これが私の人生。生きてきた軌跡。

軍服を脱ぐ事は自分を棄てること…
自分の人生を否定すること…

私は私を培ってきたこの世界が嫌いではなかった。
なのに、なぜ涙が出るのだ。

裏切るような父の言葉。

    結婚して子を生め。

私の理解者だと思っていた父が私の人生を否定する。
私の人生は何だったのか!


目の前に婚約者。
かつての部下。
思ってもいなかった相手。

毎日彼は来る。
父の思惑を受けてか彼自身の想いで来ているのか…

彼は言う。
「最初から女として…」
本当だろうか、そんな男がはたしているのだろうか…。

ジェローデル少佐を迎えての晩餐に出るよう父が言う。
私は無視してわざと遅く帰る。
彼は私が帰るまで待っている。
今宵の別れの言葉を言う為に…
貴婦人にするように私の手に口づける。

私を見つめるその瞳に私はもう一つの人生を見る。

    結婚して子を生む。

お子を持ったアントワネット様の喜び。
女としての誇りと美しさに輝いていた。

心が軋む音が聞こえる。
辛いと思うのか、踏みしめるこの道が険しいと思うのだろうか…
苦しみを見すぎたのだろうか…
世の中の矛盾や自分の存在の小ささを見てしまったからだろうか…

考えもしなかったもう一つの人生。
歩むべき道は一つと知りながら心が揺れるのは私が女だからか…

二度とドレスは着ないと誓った。
苦しかった。
ただ耐え、時が癒してくれるのを待った。

忙しさに身を任せるのは楽だ。
だが移ろう季節の中に何かを置き忘れてはいないか、不安になる。
恋する気持ちは無くしても心の中に愛は残していたい。
私の心に愛はあるのだろうか。

彼は愛を囁く。
女にとっての結婚とは芽生える愛を信じる事なのだろうか…
アントワネットさまも、姉上達も、そして母上も‥ そうしてきたのだろうか…

私を見つめる瞳は私の心を射抜くようだ。
彼は私をどこまでも女として扱う。

私の手を取る彼は、男だった。
かつての部下の姿はどこにもない。
取られた手は彼の手に包まれ口づけを受ける。
私がかつて多くの婦人にしてきた事になぜこれほど戸惑うのだろう。

彼の瞳にあるものに、気づく。
真っ直ぐ私に向けられるもの…

その瞳に映るもう一つの人生の先を、私は見る…









































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