2005 12/25

ノエルの夜に







作中のモーリスは
「ベルサイユのばら外伝」(月刊Jam掲載、中公愛蔵版収録)の第二話に登場した少年です。
「ジャルジェ将軍の息子あらわる!?」から設定を得て書きました。

「serpent −蛇−」に関連した記述があります。




 城壁に囲まれた村に着いた時、日は傾きかけていた。パリから一日かけて辿り着いた小さな村。まるで隠れてでもいるかのようだ。村の中心には教会と広場。それを取り囲む家々は皆小さかったが、こざっぱりとしていて、道も木立ちも手入れが行き届いていた。
「アンドレこの村を知っていたか?」
 石畳を叩く蹄の音が空に響く。冷たい空気。家々には灯がともっている。どれも慎ましいが、どれも暖かそうな明かりだ。
「いや」
 質素だが清潔な町並みはここに住む人々の善良さを物語るかのようだ。ここは我が家にひと時いたモーリスから教えてもらった。彼の母が育った村だという。私の弟かもしれなかった少年は、もういない…
 彼が私の弟だったら‥ 私の人生はどうなっていただだろう。彼が館にいた時から繰り返し同じことを考えた。栗色の髪に茶色の瞳。快活で素直な少年だった。


 暖炉の火は遠かったが、部屋は充分に暖まっていた。使い込まれたテーブルや椅子はどれほどの旅人の世話をしてきたのだろう。部屋の壁は厚く、窓は小さい。だが座った時に目の高さにくる窓からは蒼い木立と白い月が見えた。
 冷えた身体に素朴な料理とワインが心地良い。食事を取る客の為に音楽が奏でられ、部屋の隅に設えた段の上で数人の女が踊る。愛らしい村娘に扮した女達がバレエのステップを踏む。
 たった一日ベルサイユを離れただけなのに随分遠くに来たような気がする。私は手にしたワインのグラスをまわすようにして色を見た。酔ったとは思えないのだが、ひどく気だるい。だが不快ではない。むしろ熱に全身を愛撫されているかのようだ。
 私は目の前にいる男の姿を見つめる。彼は食堂の隅にある舞台に目を注いでいる。女達の髪に飾った薔薇の花飾り、反らした背中、伸びやかな腕。アンドレはどこか遠くを見るような目をして彼女らを見ている。
 私はワイングラスに目を落とした。弟と名乗った少年と姪が居なくなってからは以前と同じと思えないほど静かになってしまった家。誰も何も言わないが、どこか戸惑っているようにも感じた。
 ――――アンドレ。
 私は目を上げ、彼を見つめ、心の中で呼びかける。
 彼は視線を動かさない。少年と幼い時のアンドレの姿が重なった。


 初めて家に来た時のおまえの大きな瞳を忘れない。それはいつも潤んでいて、泣いているのかと思うほどだった。私はアンドレの艶やかな瞳が大好きで、よくそこを覗き込んだものだった。
「アンドレ、泣いているの?」
 私の質問に、時には憮然として、時には恥ずかしそうに彼は否定する。
 アンドレが家に来て、私は初めて気の合う友人を得た。母の連れてくる貴族の子供達や姉達からは与えられることのなかった心踊る毎日。その日から私の世界は一変した。
 アンドレの姿や表情は私の幼いあらゆる欲を刺激した。独占欲と支配欲。だがそれだけではない。私はアンドレの主人として彼を護ってやりたいと思った。父からも言われていた。アンドレを護り、庇ってやりなさい。彼の力になってあげなさい。私はそうすると父に誓った。
 彼を平民というだけで侮辱する者を私は片っ端から叩きのめしていった。彼の存在を護り通すことが私の誇りだった。私はアンドレの事となるとひどくムキになった。何がそれほどまで私をそうさせたのかわからない。主人として、友人として、それもある。だがもう一つ感じるのは… アンドレ、お前は女なら誰でも持つ“母なる気持ち”を刺激する奴だったのだよ。そう、私だってそれに漏れる者ではない。

 私が小さく笑ったのに気がついたのか、彼がこちらを見る。なんでもないと首を振り、私は答えた。彼は訝し気な表情を見せながら、再び舞台に目をやった。
 もっとも幼かった自分がそんな気持ちでアンドレに接していたとは思えない。だが母上は勿論、年のいった姉達は間違いなくそうした本能を刺激されていた。母も姉達も何かと彼の世話をやいた。それは使用人の孫に対する態度ではなかったかもしれない。だがそんな事は我々にとってはどうでも良いことだった。ジェルジェ家の中でアンドレは大切な人間だった。そしてそれを最も強く感じていたのは間違いなく自分だった。
 私は彼に悟られないようもう一度ひっそりと笑った。
 一日中アンドレといたかった。勉強や剣の稽古もあったが、とにかくアンドレと遊びたかった。彼は私の世界を広げてくれた。昼間一日遊んでも遊び足りなくて、夜もアンドレと屋根裏に潜んだり、彼の寝台にもぐり込んだり…

 音楽がひと際高く鳴り、私の思考は中断される。舞台では別の楽曲が始まり、女が入れ替わる。私はテーブルに肘を付き、アンドレとの距離を若干縮め、彼の顔を見つめた。髪を切ってからは随分印象が変わった。だがお前の中にあの頃の面影を探すのはたやすいこと‥ 黒い大きな濡れた瞳と少年らしく引き締まった頬。柔らかい唇。私はこれほどまでにお前を覚えている。
 気配を察したように彼がこちらを見る。私はアンドレの瞳の中を探る。ずっと昔にいつもそうしていたように‥ 彼は困ったような表情で視線を外すとそれをテーブルに泳がせた。
 下げた視線が揃ったまつげを綺麗にみせる。まぶたの縁に入る切り込んだような線は深い。それを徐々に持ち上げ、彼は真正面から私を見つめた。
「オスカル、言いたいことがあったら言ったらどうだ」
 彼はしびれをきらしたような声で言った。
「何も。久しぶりの休暇だ。今日はゆっくりしたい。それだけだ」
 アンドレは再び目を伏せると諦めたような表情でグラスにワインを注いだ。
「メルシー」
 私はグラスを掲げアンドレに微笑んだ。ワインを飲みながら今夜はゆっくり過ごしたい。だが彼は探るような目をして言った。
「オスカル、いいのか、ノエルの夜に出かけたりして」
 一途さしかなかった彼の瞳は様々な色を浮かべるようになった。厄介な進言や頑固な忠告をその目に浮かべ、私を諭そうとすることもある。
「休暇は久しぶりだ」
 私は彼を牽制するように言った。
「そうだな。でも大事な時ではないのか?」
 アンドレの言いたいことは分かる。私はワインを煽った。家には黒い騎士がいる。先ほどまでの心地よかった暖気が一瞬にして去った気分だ。さんざん世の中を騒がせ、自分勝手な理由ばかり主張する、今は仮面を剥がされた男。その男が憎くないと言えば嘘になる。男は私が最も好きなアンドレの片方の目を潰した。そして、そんな男に誠意を尽くして看病する女がいる。
 私はアンドレの前にグラスを突き出した。彼は心得てるというようにワインを満たす。
「アンドレ、今日は煩わしいことは何もかも忘れたいのだ」
 私はアンドレを睨みつけた。
「分かった。もう余計なことは言わない」
 彼は素直に引き下がる。そう、それでこそ私のアンドレだ。


 私は再び遠い幸福な日々に入っていった。私には姉が何人もいた。私が物心つく時には嫁いでいた姉もいた。
 ある日‥ ホールを横切ろうとした私の目にドレスの裾が目に入った。嫁いだばかりの姉が家に来ていたのだ。姉だけではない。夫である義兄も一緒だった。二人は階段脇の柱の陰でかたく抱き合っていた。抱き合うだけではなく、二人は口付けを交わし合っていた。私はホールを横切ることはやめ、扉の側に立ち止まった。
 大人同士がキスするところを初めて見た。母や姉や乳母が私にするようなキスと何て違うのだろう。戸惑い、驚いた。だがそれを上回ったのは興味だった。私はそこに立ち止まり、夢中になっている二人を見つめた。そこにいる女は知っている姉とは違って見えた。
 もう少し大きければ、たじろいだり、羞恥のあまり逃げ出したかもしれない。だがそうするには私は幼すぎた。唇と唇を合わせ、舌を絡め合う男女。その行為はいつまでも終わることなく続いていた。
 姉の喉から笑いとも呻きともつかない声が漏れる。反らせた白い喉に男の口が移動する。二人の姿は私に立ち入ってはいけない大人の世界があるのだと教えた。ここに居てはいけないと悟り始めた私は、ホールに背を向けると廊下を走り、裏口から庭に出た。
 夜一人でいる時に感じるように胸がびくびくと動いた。私は庭を一渡り見渡すと馬小屋に向かった。庭に出ると少し落ち着いたが館の方を振り返ると何故か足は速まった。私は不安だったのかもしれない。誰かに会いたかった。誰を探そうとしたのか。大人でないことは確かだ。
 馬小屋には誰もいなかった。私は噴水を超え、庭の奥にある温室に向かった。温室の扉を開けるとそこに小さな人影をみつけた。彼はオレンジの葉陰の間にいて、ぼんやりと何かを考えているようだった。私は大急ぎで側に寄ると同じ台の上に腰掛けた。彼は驚いたように私を見たが、いつもと変わらぬ笑顔で笑いかけてくれた。私の胸は大きな安堵を得たかのように嫌な動きを止めた。私は彼の顔を見た。大好きな瞳がすぐそこにあった。
「アンドレ、キスしてみないか?」
 安堵を得ると同時に私に子供らしい興味が戻ってきた。私は彼の瞳をのぞき込み言った。たった今見てきた光景を実体験したいと思ったのだ。
「大人がするみたいに、唇にさ」
 私は自分の唇に手をやり、彼が返事をするのを待った。私は彼を共謀に嵌め込みたかったのかもしれない。見てはいけないものを見てしまった居たたまれなさと大人の秘密を垣間見た興奮。それを持ちかけるには館から離れた温室は格好の場所だった。私は唇を指でなぞり、アンドレを見た。あれは頬や額にするキスではない。唇でないといけないのだ。
 彼は返事をする前に私の肩をつかみ唇をつけてきた。彼の唇は今まで感じた何よりも柔らかかった。突然の行為とその感触に私は驚き、思わず彼の肩を押した。
「変な感じ、ちっとも良くないや」
 私は何かをごまかすように声を上げて笑った。不思議な感触だった。だがそれ以上に不思議だった事はアンドレと唇を合わせたことで、何か罪の意識を感じたことだった。
「大人っておかしいね」
 何かに隠れていなければいけない気がした。オレンジの葉陰があって良かった。だが罪の意識がどこからくるかより、私は突然の提案に彼がのってくれたことに気を良くしていた。彼にもたれかかり、もう一度笑いながら、それでも幸せな気持ちに包まれていたのも不思議だった。


 私は唇を舐めながら、目の前の男を見た。今宵は誰も知らない村に二人きり。あの時と同じように隠れながら… 時には昔に戻るのも良いではないか。私は心の中で彼に問いかけた。
 アンドレは何か言いたそうに口を開いたが、何も言わず、代わりに諦めたかのような小さな息をついた。私を見てもすぐにテーブルに視線を落としてしまう。

 私は幼い頃から自分を男だと思って生きてきた。父がそう育てたのだ。私は男の物が大好きだったし、男であることに誇りを持ってた。だがそんな私を姉達は大いに戸惑わせてくれた。
「オスカル、貴女は女よ」
 三番目の姉のオルタンスがもっとも頻繁に私にそう言ってきかせた。
「貴女は男の子みたいだけれど、本当は違うの。だって男の子は‥」
 そう言って姉は男の特長を私に教えてくれた。だが私はオルタンスの言うことを聞かなかった。私は男であった。私にとって男とは父のようである事であり、女とは母のようである事だった。それなら私は充分男であった。


 女達が舞台を降り、代わりにギターを抱えた男が一人、段に登った。男は切ない恋の歌を歌う。私の幸福な回想はたちまち断ち切られ、何度も繰り返してきた問いかけをまた繰り返すことになった。
 本当に男であったなら… 辛い恋とは無縁であっただろうか…
 ギターの男は辛い恋はすべて忘れろと歌う。永遠に伝わらない想いがあると… そんな恋は捨ててしまえと歌う。
 脳裏に浮ぶ一つの光景。私は初めて女の格好をして舞踏会に行った。何を考えての行動か。今になっては己の愚かしさが腹立たしい。
 男は歌う。想いは伝わりはしない。伝わらない想いを抱えて生きていくのなら捨ててしまえ…
 私は舞台の男を見た。男は人生のすべてを知っているかのように、優しく、冷たく、歌う。
「オスカル」
 呼ばれてアンドレに目を向けた。
「どうした」
 彼は先とは違う目をして私を見ていた。怒っているかのようだ。
「何を考えている」
 彼の瞳は鋭く、心の奥を見すかされているのではないかと思う時がある。
「何でもない」
 私はそう言ったが、ひどく惨めな気持ちだった。
「飲めよ」
 彼は命令するかのように私に言った。私はそれに従いにグラスを空けた。今日は余計なことを考えるのはよそう。幸せな子供の時のことだけ考えるのだ。


 アンドレは私が行きたいと言う所にはいつも付いてきた。ベルサイユから少し離れた所に川があった。いつもは水の少ない小さな流れだったが、その日は前日に降った雨のせいで勢いのある流れができていた。私は冒険と称するものが何よりも好きだった。一つ冒険にでかけると様々な戦利品を手にして帰ったものだ。今日も川底に一つの美しい品を見つけた。
「見ろ、アンドレ」
 私は川底を指差した。透明な水しぶきの流れに洗われるようにして緑の石が見えた。それは平たくてすべらかな肌をしていた。その辺にある石とは全く違う。宝石の一種に違いない。
「僕が取ってあげる」
 私の願望を彼はすぐに察し、叶えようとする。アンドレは川に入った。川の流れに立つアンドレの足を見て流れが思ったより早いことに気がついた。アンドレもそう感じたのだろう、慎重そうに歩を運び、川底に手を伸ばした。彼の手は石をつかみ取ったが、同時に水の中にざぶりと入り込んでしまった。
 暖かい日ではあったが、川に入る陽気ではなかった。アンドレは髪からしずくを滴らせながら震えていた。
「早く服を脱いで乾かした方がいい」
 アンドレは震えながら頷くと私に戦利品の石を持たせ、岸辺の茂みに歩いていった。青々と茂った茂みの上に濡れたシャツがばさりと置かれた。続いてキュロットが置かれ、靴下も二足並べて置かれた。
 私はアンドレから手渡された石を撫でながら、一つの事を思いついた。アンドレには姉が教えてくれた男の印があるのだろうか。アンドレの身体は自分とは違うのだろうか。
 私はこっそり茂みを回ってみた。アンドレの裸の背中と尻が目に入った。気配に気づいたのかアンドレが振り返った。彼は弾かれたように持っていた下着で身体の前を隠した。
「なに? オスカル」
 アンドレはこちらを向き、一、ニ歩あとずさった。
「アンドレ‥」
 私は彼に歩み寄った。アンドレの手が小さな布を固く握りしめ、それを身体の一部に押し当てている。そのさまはそこに何か隠していると教えるも同然だった。
「からだを、見せて」
 私はアンドレの手から布を取り上げようとした。アンドレが自分と違う身体をしているのか確かめずにはいられなかった。
「嫌だ!」
 激しい拒絶だった。今まで彼が私の言う事にに逆らった事はなかった。
「嫌だ!」
 彼はもう一度激しく言うと、さらにあとずさった。オルタンスの言う事を確かめてみたい。ただそれだけなのに、彼はなぜそう頑なに拒否するのだろう。彼が私を拒んでいる。それだけで私は腹が立った。
「見せろ!」
 私は彼の胸を押した。アンドレが態勢を崩した隙に、私は彼の手から布を奪い去った。
「やめろ!」
 アンドレは大きく叫ぶと地面に座り込んだ。彼は下半身を隠すように座り、伸ばした両手で身体を庇い、悔しそうな目をして私を見上げた。
「ごめん、アンドレ、僕はただ…」
 その時になって私はアンドレに酷いことをしたと思い至った。誰からも男の子であると言われるアンドレと、乳母からはお嬢様と呼ばれ、姉達からは妹と呼ばれ、父や客人からは跡取りの男とされる自分がアンドレと同じ身体かどうか確かめたかっただけなのだ。そう言おうとした。だが、どんな理由であろうと、もし自分が身体を見せろと丸裸にされたら、怒りで死んでしまうに違いない。
 私を見上げるアンドレの黒い瞳は激しく強い光を放っていたが、顔は寒さのあまり蒼白で、ガタガタと震えていた。髪の先端からは雫がまだ滴り落ちていた。
「ごめん。アンドレ‥」
 自分の気持ちを説明しようとしたがそれもできず、私は手にした布を彼の前に置き、彼に背を向けそこを立ち去るしかなかった。
 アンドレはその日、夕方まで帰ってこなかった。
 その夜、私は初めてアンドレに手紙を書いた。自分の恥ずべき行ないを悔い、許しを乞うた。手紙を書きながら私は涙を流していた。見上げた黒い目を思い出すと身体が震えた。彼に軽蔑された。彼は許してくれないかもしれない。だがそれよりも私が恐れ、悔いたのは、アンドレを傷つけてしまったことだった。大好きな、大事な人に何てことをしたのだろう。己の身勝手さと愚かさに私は泣いた。私は手紙にアンドレが取ってくれた石を添え、夜中に彼の部屋の前に置いた。

 数日の間、私はアンドレに会うことはできなかった。風邪を引いたのだとばあやは言った。彼に会えないという事は私にとって罰則にも等しいことだった。アンドレの身体が早く元の通りになるよう祈りながら、私は神にもっと良い人間になれるよう手を貸してくださいと祈った。もう二度と大好きな人を傷つけることが無いように…


 音楽はいつの間にか止み、客達はそれぞれ席を立つ。卓の上の蝋燭も一つ一つと消されてゆき、部屋は暗くなる。
「オスカル、今日のお前は少し変だったぞ。いきなりモーリスの村に行きたいと言い出したり、訳もなく‥」
 アンドレの声は私の初めての懺悔の思い出を遠くに押しやる。彼はここで言葉を切り、首を僅かに傾け私を見た。
「訳もなく‥?」
 私は彼の言葉を引き取った。
「ああ、何を考えていたのだ? 一人で。何か企んでいるようだった」
「企みなどしていない」
 私は椅子から立とうとした。彼は立ち上がりかけた私に腕を伸ばし、指で私の顎を押し上げた。彼の腕の長さに男の身体というものを知らされる。どれほど私が努力しても、それを手に入れることは到底かなわない。それを羨ましいと思うのか。それとも眩しいと思うのか。
「いつも側にいてくれるお前に感謝の気持ちを捧げていたのだ」
 私は椅子に座り直した。
「違うな」
 短くきっぱり否定しながらも彼は両肘をテーブルに付き、身を乗り出して言った。
「楽しい企みなら良いさ。お前が楽しければ俺はそれでいい。今日は‥楽しかったのか?」
 彼の瞳は優しく私の心を探る。この瞳に今まどれほど慰められ、力を与えてもらっただろう。
「もちろんだ」
 私はアンドレに笑ってみせた。
「そうか。それならいい」
 彼はほっとしたように微笑むと椅子に背を預けた。
「アンドレ‥」
 私は椅子を深く引き、アンドレに顔を近づけた。聞きたいなら教えてやろう。私は一呼吸置いて彼の表情を観察した。寛いだ様子のアンドレの目が瞬く間に真剣になる。アンドレは私の気配を一瞬のうちに悟る。それは長い間に習慣となっている。
 私が心で呼びかければ、彼は反応する。私が何か語ろうとすれば、彼は真剣にそれを聞こうとする。真剣――そう、彼はいつも真剣だ。
 彼を見つめる。彼も私を見つめる。私は言った。
「アンドレ、キスしてみないか」










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