2003 5/17
挿絵 市川笙子さま

銀の月と小さな花 T



「最後のドレス」に続く話になります。



 年が明けたら来ると言った男は来ない。
(ふん、私も馬鹿だよ)
 薪も節約しなければこの冬が越せない。シルビーは暖炉の前の椅子に座り背もたれに肘をかけ残り火がくすぶっていく様子を見つめた。昨年、言葉を交わしただけの男。なぜあんな男が気になるのだろう。説明のつかない自分の気持ちが居心地悪い。きっと目的を完遂出来なかったからだ。彼女は理由を突き止め納得しようとした。
 毎年一晩だけ自分の誕生日に自分の選んだ男と寝る。仕事ではなく自分から気に入った男を選ぶ。それは好きでしているというよりは、プライドを保つ為自分に課した所作だった。だがどんな男でも一晩寝ると忘れた。忘れられない男などいなかった。
 シルビーは火かき棒で薪をつついた。小さな木片を一つだけ入れる。年が明けてから何度かフランス衛兵の兵舎まで行った。一月の寒空の中、兵舎前まで行って彼女は初めてアランの姓さえ知らない事に気がついた。偶然彼が出てきやしないか。シルビーは兵舎の前を気のない素振りで往復しながら中の様子を窺った。
 凍えて部屋に辿り着きあまりの自分の馬鹿さ加減にあきれ誰に言うともなく悪態をつく。薪ももう残り少ない。シルビーは薄い毛布にくるまって震えながら考えた。早く次のいい男をつかまえなくては凍えてしまう。とっかえひっかえ一晩限りの相手を探すよりは、金離れのいい決まった男をつかまえるほうがずっと良かった。
 妻を亡くし寂しい心を抱えた貴族の爺さん。彼の思い出話を聞いてやり涙を浮かべ優しく頷いてやる。彼が眠るまで側に添い、薄くなった額を撫でてやる。そしてたまに体で青春を味あわせてやれば良かった。彼は金の他に沢山の品物をくれた。それを売れば相当な金になった。屋敷の年取ったメイドにさえ感謝された。
 それからアメリカ独立戦争に参加した事が自慢でならない若い将校。貧乏貴族の次男だった。彼の自慢話を聞き、さも驚いたふうに馬鹿な質問をしてやれば彼はご満悦だった。彼は肉欲については貪欲だったがそれはごくノーマルで男としては正常だった。
 そう、正常な男であれば問題ない。だが男の中には異常性欲の持ち主がいる。シルビーは咳き込み身震いした。
 田舎から働きに出ていた。田舎では仕事がなかった。父親のいないシルビーは家族の為に働くしかなかった。ずっと働きづめだった母親は体を壊していた。弟もいた彼女はつてを頼ってパリにお針子の仕事を見つけた。母はひどく心配したがシルビーは嬉しかった。花の都パリに憧れがあった。美しい店で美しい物に囲まれて仕事が出来る。うんとかせいで母や弟に金を送ってやりたい。何日も馬車に揺られ辿り着いた店はそれは美しかった。仕事の出来も悪くなかったと思う。だがパリの不況は田舎出の若い娘をあっと言う間に首にした。他に何の技術もない女の都会での仕事といえば限られている。本当はそこで帰れば良かったのかもしれない。だが田舎からは、何にいくらいると、細々と書いた母の手紙がきていた。次の仕事を見つけるまでのほんの繋ぎのつもりだった。シルビーは賄い婦募集の張り紙を見て娼館の門をくぐった。
 賄いの筈だった。そういう約束だったがそれは破られた。シルビーはいきなり客の前に出された。何がどうなったか覚えていない。身体の中に残る鈍い痛みと違和感。ベッドに横たわり殆ど気を失いかけた彼女の前に大金が置かれた。娼館の女将だった。
「シルビー、お客さまは大喜びだったよ。こんなに金をはずんでくれたよ。さあ、これは全部お前のものだ」
 涙で滲んだ目に幾枚もの札が映った。女将はその中から一枚を抜き取りシルビーの前に置いた。
「賄いの仕事とはお前が一ヶ月働いたってこの位にしかならないんだよ。それに比べたらどうだい。あのお客は生娘が好きなんだ。たった一度限りでこんな大金が手に入るんだ。悪い仕事じゃない筈だよ」
 立ち上がれたらこの女の喉に噛み付いてやる。シルビーは横たわったまま唇を噛みしめ札を握り締めた。こんな物の為に私は獣に皮を剥がれ肉を砕かれたのだ。女将は札を握ったシルビーの手を満足そうに軽くたたいた。
「シルビー、お前はきっと人気者になる。私が保証するよ。器量もいいし男好きのする体をしている。私がこの館一の売れっ子にしてやるよ」

 シルビーは膝に顔をうめ薄い毛布の中で震えに耐えた。娼館にいた時は母や弟に満足な送金が出来た。蓄えもした。
 やり手の女将はシルビーを上客にだけ紹介した。シルビーに客の好みを教え客に気に入られるよう教えた。シルビーを名指しでやってくる客も多かった。女将は彼らを充分焦らし、たんまり金を取ってシルビーを客にわたした。
 一日に取らされる客の数は増えるのに貰える金は増えなかった。訳を聞こうとすると怒鳴られた。
「シルビー、ちょっと人気があるからっていい気になっているんじゃないよ。お前には働いただけの金は渡してあるだろう!」
 憎々しげにシルビーを見る女将。彼女も若い頃はさぞ美しく胴も腰も細かったに違いない。髪も艶を持ち豊かに波打っていたかもしれない。女将は鼻から荒い息を吐き出しシルビーをこずいた。その目には、はっきりとした憎しみがこもっていた。
 その日、太った大男にシルビーは殺されそうになった。彼は行為の最中にシルビーの首に手をかけ締め付けてきた。初めはゆっくり首を撫でさすりながら次第に力をかけてくる。おかしいと思った時は男の手の下で息ができなかった。咳き込み首を振りながら逃れようとすると男は手を緩める。しかし手を離すことなくゆっくりと締め上げてくる。シルビーは男の胸を必死で押したがビクともしなかった。何度も意識が遠のいた。霞んだ視界に男のだらしなく開いた口が見えた。
 殺される。そう思った。女将に告げたが彼女は取り合ってくれなかった。
「あのお客はお前を気に入っているんだ。嬉しいじゃないか。贅沢言うんじゃないよ! 娼婦のくせに! お前に選ぶ権利があると思っているのかい?!」
 その日も無理やり客の前に押し出された。怯えて逃げ回るシルビーを客は舌なめずりしながら追いかけた。男に組み敷かれた。下半身にめり込むものを感じると同時に首に手がかかる。懇願すればするほど男の歪んだ欲望に火がついてゆく。意識が遠のく。どれ位気を失っていたのだろう。客もすっかり出払った頃気がついた。酷く咳き込み鏡を覗くと目が飛び出しそうなほど充血していた。
 ここを出よう。シルビーは決心した。どこか別の所へ。ここにいたら今度こそ殺されてしまう。客にとっても娼館にとっても一人の娼婦が死んだところで何ともない。
 別の娼館に移ったがどこも似たようなものだった。異常性欲者は他にもいた。娼婦に選択の自由はなかった。何でも客の好みに合わせなければならなかった。
 シルビーは娼館を出た。つなぎの仕事のつもりが長くなってしまった。次の仕事を手当たり次第探したがどこも雇ってはくれなかった。蓄えも底を尽いた。ここに飛び込んでしまおうか。シルビーはセーヌを眺めながら考えた。石をつかんで投げ入れる。揺れる川面に母と弟の顔が映った。死ねない。私には母さんがいる、エミールがいる。シルビーは両手で顔を覆った。
「どうしたんだい?」
 見知らぬ男が声をかけ肩を抱いてくる。男はシルビーの耳に口を寄せ何かを囁く。シルビーは男の言葉に頷いた。
 一度触れた空気には染まってしまうらしい。きっともう元の世界には戻れない。私は娼婦。帰れない。帰らない。パリの、この掃き溜めのようなパリで、したたかに生き抜いてやる。シルビーは隣で眠る男の裸の胸を見つめ決心した。

 寂しい爺さんが死に、若い将校も遠い任地に赴任するとたちまち生活に困った。娼館を出るという事は女将に稼ぎをピン撥ねされないで済む分、自分で客を見つけなければならないという事だった。自由があるかわり自分の身は自分で護らなければならなかった。
 生きていく為男を見る目は確かになった。一番大切なのは金を持っているかという事だ。金離れも大切だ。危険人物ではないか、一瞬にして見抜く力がいる。場所の選定も重要だ。シルビーは融通の利く宿の部屋を確保していた。

 薄い毛布から這い出し震えながらシルビーはクローゼットからありったけの服を出した。それをベットに積み上げ暖をとる。それでも足りなくて彼女はアメリカ産のウイスキーを取り出した。まだ半分以上残っている。それをグラスに注ぎ一気にあおる。酔いが身体を暖め頭の中を空っぽにする。シルビーはベッドの中にもぐり込み正体もなく眠り込んだ。


 シルビーは外に出るといつも遠回りをしてフランス衛兵の宿舎に寄った。何度寄ってもアランは出てこなかった。彼の軍服は間違いなくフランス衛兵のものだった。一度見張りに立つ兵に問いかけられた。誰を探しているのだ。シルビーは首を振り慌ててそこから離れた。きっと彼はもうパリにいない。いつまでも固執していて何になる。シルビーは宿舎の前を通らないことにした。

 母ではない人物から手紙が来ていた。死んだ爺さんのメイドからだった。訪ねて欲しいとの住所まで行くと彼女が出迎えてくれた。助けて欲しい男がいる。彼女に案内された屋敷は大きかった。
 シルビーは屋敷のよどんだ空気に死臭を感じた。豪華だが古臭い調度に手をかけると埃がついた。
「今はここで働いているの」
 爺さんのメイドは一つの扉の前で立ち止まった。
「こちらが旦那様の部屋です。旦那様はドーベル伯爵と長いお付き合いがありました。伯爵からあなたの事を聞いていたようです」
 初老の域に達したメイドは深い憂いと慈愛の入り交じった表情で扉を開けた。
 寝台の上に男が寝ていた。半身を起こし射る様な瞳でこちらを見据える。灰色の伸びきった髪を後ろに撫でつけ同じ色の髭に顔の半分が覆われていた。目には強い光が宿っていたがその光は敵意と言ってもいい光だった。シルビーの後で静かに扉が閉まった。
 男がゆっくり手招きをした。シルビーは寝台に歩み寄った。緊張する一瞬。知った顔からのつてといっても目の前にいる男は知らない男。知らない屋敷に閉じ込められても誰も助けに来てはくれない。
「セヴランからお前の事を聞いた。時々ここへ来てもらいたい」
 男は寝台の脇に立つシルビーを見上げて言った。声は低くはりがあった。額に深い縦皺が刻まれていたが爺さんよりはずっと若そうだった。男は上掛けをめくった。シルビーは息を呑んだ。男の足は右足が腿のあたりから無かった。
「驚いたか」
 男はシルビーの表情を楽しむように言った。彼女は寝台の隅に腰をおろした。こんなものを見せられては堪らない。シルビーは男の足を見つめた。それは足というよりは砂か小麦粉を詰め端を縫いつけた麻袋のようだった。膝も足首もないと人間の足には到底見えない。だがそれが生きているという証拠に痩せた麻袋が上下に動くのだ。
「足が痒い。掻いてくれ」
 男が言う。シルビーはそっと麻袋に手をかけた。
「もっと先の方」
 男が言う。シルビーは男の足の先端、麻袋の縫い目の辺りを掻いた。
「そうだ、そこだ。気持がいい」
 男は目を閉じて顔を上げた。彼女は掻きながら縫い目の中に固い物があるのに気がついた。きっと骨に違いない。男の笑う声が聞こえシルビーは顔を上げた。
「気味悪くないのか?」
 シルビーは黙って首を横に振った。
「今日はもういい。来週また来てくれ」
 男に言われシルビーは部屋を出た。
 帰りにメイドに今日の分と金を貰った。傷を掻いただけにしては破格の値段だ。シルビーは死んだ爺さんに感謝した。
 シルビーは札を服のポケットにしまい男の千切れた足を思った。たまらない。涙が出てくる。先の丸くなった小さな肉片。手の中に残る骨の感触が彼女の心にいつまでも残った。


 三月だというのに雪が降った。始めは雪とは思わなかった。空からふんわりとした綿のような物が降って来る。それは肩にかかると一瞬だけ結晶を見せたちまち溶けていった。
 冷えると思った。シルビーはショールを肩に掛け直し首に巻いた。朝から降っていた雪は地面に落ちると水になり石畳の泥と混じりぬかるみを作っていた。
 ドレスの裾をたくし上げた彼女の目に馬に乗った兵が来るのが見えた。狭い道だった。シルビーはぬかるみを避けるように道の端に寄った。
 昨年からパリには軍隊が溢れ、そこかしこに軍人を見た。パリの治安は悪かったがなだれ込む彼らにもその原因があるような気がしてならない。パリは品薄になり物価は高騰する。でも昨日貰った金がある。シルビーは服の上から金に手をやった。パンも薪も買える。家にも半分は送れる。彼女はショールに顎を埋め近づいてくる馬を眺めた。
 見るともなく先頭の将校を見てシルビーは目を見張った。豪華な金髪をなびかせ馬上の姿勢も見事な若い将校。近ずくほどに白い顔が端正であること、表情に高貴さが窺えることがわかった。シルビーは彼を見つめながらさらに道の脇に身を寄せた。こんな男が抱く女はどんな女なのだろう。職業柄かついそんな事を考えてしまう。だが端正すぎるためか彼からは生身の男が発する生気を感じなかった。まるで雪のようだ。シルビーは空を仰いだ。ふわりと羽のような、レースのような雪は舞い降りてくる。馬が近づく。彼が直ぐ脇を通る。シルビーは目を伏せた。神話に出てくる神のようだ。こんな人間もいるのだ。伏せた目に石畳の泥が見えた。雪と泥…
「よう、シルビー」
 声に気がつき彼女は顔を上げた。将校の後にもう二人兵がいた。二人共黒い髪で青い軍服を着ていた。シルビーは声を上げそうになり慌てて口に手を当てた。ずっと捜していた男が目の前にいた。あの時と同じ顔をして…
 アランはシルビーに声をかけるとそのまま通り過ぎた。何もかも一瞬の事だった。馬を並べていたもう一人の黒髪の男が振り向いたが彼らはすぐに後姿を見せた。先頭の将校は振り返らなかった。
 シルビーは遠ざかる馬を見た。アランだった。間違いはない。彼はパリにいたのだ。あの声。それに彼は私の名を呼んだ。シルビーはドレスを広げて自分のいでたちを眺めてみた。アランだけでなく彼らにも私がどんな種類の女か想像がついただろう。でも彼は私に声をかけてくれた。
 アラン、あなたパリにいたんだね。シルビーはドレスをたくし上げぬかるみを歩いた。一瞬通り過ぎた彼らの姿が目に焼きついて離れない。
 先頭の将校ともう一人の男。一つの風景が重なる。寒い夜、アランと見た彼らではないか。ドニ親父を担ぎ上げた彼。見覚えがある。それから黒いマントを着て馬に乗っていた男。金の髪。階段を駆け降りてゆく足音。アランの顔に重なる寒風にあおられるあの金髪。
 シルビーは片手でドレスを持ち片手を石壁にそわせながら歩いた。あの夜の風景、なぜこうも鮮明に覚えているのだろう。シルビーは空を見上げた。雪はまだ舞ってくる。きっと今日の事も忘れられないだろう。三月なのに雪が降ったのだもの…


片足の男の屋敷に行く。彼も若い頃は軍人として活躍したらしいが大怪我を負ってからは退役したという。詳しい事は知らない。だが表情や口ぶりからは世を恨んでいることが容易に窺える。
 シルビーは男の体の上に乗り額に刻まれた深い縦皺を伸ばしてやる。世の中呪いたいのはこっちの方さ。戸惑ったような男の手を胸に導いてやる。女の肌に触った事がないのかい? 男は何も言わない。シルビーは笑った。体の動かない男なら好都合さ。可哀相な男が私は好き。私でひと時でも辛さを忘れられるのなら何とかしてみようじゃないか。一緒に傷を舐めあえる可哀相な男が私は好き。男の目にぎらついた光が宿るのをシルビーは面白そうに眺めていた。


 あの日降った雪を最後に日差しは明るくなっていった。何とか凍え死ぬこともなく冬が越せたようだ。シルビーは暖炉の灰をかき集めた。今年の冬は何とかなったが来年もまたこんな寒い思いをするのかと思うと嫌になる。
 シルビーは暖炉に溜まった灰をきれいにならした。字の勉強もずっとしていない。平らになった柔らかい灰に火かき棒の先で文字を刻む。
 A,l,a,i,n
 書いては消し、また書いて消す。もう一度書く。シルビーは暖炉の前にしゃがみ込み文字の出来を眺めた。今度は少し上手く書けた。膝の上に顎を乗せ今度は別の文字を書く。
 S,y,l,v,i,e
 その時部屋の戸を激しく叩く音が聞こえた。シルビーは火かき棒を離し戸に近づいた。家賃もこの間まとめて払ったし一体何? 扉は激しく鳴り続ける。シルビーはドレスで手を軽く拭くと戸に手をかけた。僅かに隙間を開けたつもりだったが戸は思いっきり引っぱられシルビーは外に放り出されそうになった。


「シルビー!」
 遠慮会釈もなく部屋に入ってきた男を見てシルビーは仰天した。アランだった。彼はもう一人男を連れていた。アランより若いまだ少年の面影の残る男だった。アランはシルビーの前に連れの男を押し出した。弾かれたように男は体勢を立て直し急いでアランの後ろに隠れた。
「シルビー、久しぶりだな、元気だったか」
 アランは大股でシルビーに近づくと彼女の顔に笑いかけ後を振り向いた。
「これはフランソワ・アルマンって言うんだ。今日はよ、こいつの誕生日なんだ。まだ女を知らない。シルビー、一つよろしく頼むよ」
 アランは腕を伸ばして男の襟首をつかんだ。
「ア、アラン、俺は‥」
 男はアランの腕から逃れようともがいた。
「なあ、フランソワ。その年になって女を知らないっていうのは、いけない事なんだ。真っ赤になって怒る暇があったら一つでも経験を積む事さ。分かったか?」
 まるで弟に言い聞かせるような口ぶりだった。フランソワと呼ばれた男の顔がみるみる赤くなった。
「お、俺は‥!」
 拳を握り締めアランに食ってかかる男に目もくれず彼を押しのけ、シルビーはアランの前に立った。
「なんて、男だい!」
 頬を張ろうとしたシルビーの手をアランは軽くよけた。
「あ、あれはね、私の誕生日だよ! お客の誕生日にそんなことしてられるかい! 誕生日だって男が群れるだけさ」
 シルビーは恥知らずなこの男を何とかしてやりたかった。だが一番腹が立つのは自分自身だった。自分はこんな男をずっと待っていたのか。馬鹿馬鹿しい! シルビーもフランソワに負けない位赤くなった。
「フランソワ、シルビーはいい女だ。うまくやれよ」
 アランはフランソワの肩に手をかけると逃げ出すように部屋を出た。音を立てて戸が閉まる。
「アラン!」
 まるで置いていかれた子供のようにフランソワは両腕を上げ戸に張り付いた。その彼をシルビーが戸から引き離した。
「なんて男だい! なんて男だ!」
 彼女は怯えたようなフランソワの前で建てつけの悪い戸を蹴り飛ばし始めた。
「あ、あの」
 声にシルビーは振り返った。
「ご、ごめん」
 置いていかれた子供はシルビーの怒りをなだめるように両手を胸の高さに差し上げた。
「なんだい! あの男」
 シルビーは当たる相手を戸から彼に変えた。彼に向き直る。彼は困り果てたような顔をしていた。
「ア、アランは冗談を言っただけなんだ」
 それでも彼は必死に言い訳をした。
「わかるよ、冗談だって。本気になどするもんか。だけど冗談だってあまり人を馬鹿にするものじゃないよ」
 シルビーは言いながら腹の中が熱くなるのを感じた。あんな奴に声などかけるのじゃなかった。
「ご、ごめん。俺、君には悪い事をしたと思っている。でも、俺、アランが冗談が言えるようになった事良かったと思っているんだ。今度だけ許して」
 シルビーは首をかしげて彼を見た。フランソワは硬直したように一歩後ろに下がり戸棚に背をぶつけた。
「ア、アランには辛い事があったんだ」
 それでも彼は薄情な友を弁護するらしい。
「辛い事?」
 シルビーは腕を組んだ。
「うん」
「ふん、どれだけ辛い事が起ころうとあたしには関係ないね」
「そうだね」
「でも、辛い話なんか聞きたくないさ」
 シルビーは戸を開けた。
「アランに言っておいて、もう二度とここに来ないで」
「わ、わかった」
 フランソワはシルビーを見ながら後ろ向きで部屋を出ると階段を駆け降りていった。


銀の月と小さな花 U に続く




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